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アン・ジサン 「昼、夜」

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小山登美夫ギャラリー京橋

【オープニングレセプション】
2026年4月25日[土] 17:00 - 19:00(作家も在廊予定です)

 

【アン・ジサン、および作品について
ー閉 塞、抑圧、混沌、恐怖、不安、身体感覚を通し作品が露わにするリアリティ】

 

アン・ジサンは1979年韓国釜山生まれ、2006年に韓国芸術総合学校を卒業後、オランダのフランク・モール研究所で絵画を学びました。2013年から2年間オランダ国立芸術アカデミーのレジデンシーに滞在し、同国内で個展を開催後、2015年ソウルへ帰国。韓国での活動を開始しました。作品は国立現代美術館ソウル館(韓国)、大邱美術館(韓国)、王立美術アカデミー(オランダ)等に所蔵されています。

アン・ジサンの絵画は、閉塞、抑圧、混沌、恐怖といった不安な雰囲気をもち、卓越した画面構成、ドラマティックな光の処理、緻密かつ力強い筆致が見る者の視線を強く惹きつけます。

 

幼少期、釡山・保守洞の書店街で走り回って遊んだ体験、父のアトリエでの陰鬱な空間的状況、政治ドラマにおける拷問場面など、個人的な記憶が、多くの人々に共通するような感覚として混ざり合い、彼が紡ぎ出す様々なイメージは終わりのない深い世界としてキャンバスに繰り広げられているようです。

世界の真実か虚偽か、現実か仮想か、実体か幻影か、内面を貫く暗さに、いったいどんな真実が含まれているのか。
作品が露わにするイメージの背後にあるリアリティは、鑑賞者に新たな不思議な感情を喚起させ、またどこかで知っていたかのような無意識の中の記憶を呼び起こして行くでしょう。

 

またアン・ジサンの作品制作の特徴として、事前に綿密な構想を経る点があります。浮かんだアイデアは鉛筆でドローイング、また一部をアトリエ空間にセッティングしてみることもあり、そして多くの絵画作品が写真コラージュのドローイングから発展したという点も注目に値します。

アンはかつて、直接的な手法で主題を表現することを目指し、手足に色を塗りつけ、それを繰り返し洗い流す行為に没入したことがありました。それは消えゆくもの、消え去ったものの形を捉えたいという意志と懐疑から始まったものであり、また以前にはオランダの作家バス・ヤン・アデル(1942-1975)の作品と生を研究し、彼のどこまでも落下し続ける、死につつある状況を表現する作品に共鳴しながら、この既存の映像作品に絵画的な注釈と自身の感情を重ねています。 

多様な準備作業は、平面上では忘れられがちな感覚を自然に身体に馴染ませ、絵画の感覚を広げようとする試みです。
状況によって浸食された不安は様々な物体の背後に潜み、ひそかにその存在を露わにする。この不安と真正面から向き合った時、初めてアンの作品を理解できると言えるでしょう。

 

*より詳しい作家説明はこちらをご覧ください:https://www.jisanahn.com/

 

 

【本展および新作について
ー夜 / 昼 ― 対象の不明確さ】

 

本展に際し、作家自ら次のステイトメントを記しました。
私たちが見ている世界は本当に真実なのか。夜と昼は常に繰り返され変化していく。日常の新たな視点を知るこの貴重な機会にぜひお越しください。

 

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夜 / 昼 ― 対象の不明確さ

アン・ジサン

 

今回の展示は、私たちが対象をどのように認識しているのか、とりわけ対象が明確に理解されていると信じる瞬間の不安定さへの関心から出発している。私たちは目の前の物や風景、他者の顔をはっきりとした形として認識していると思っているが、知覚の経験の中でその明確さは常に暫定的なものである。見慣れた場面はある瞬間に見知らぬものとなり、はっきりしていた対象はぼやけ、私たちが見ていると信じていた世界は別の仕方で現れる。私はこのような知覚の亀裂が生じる瞬間を、絵画的な場面として探求したいと考えている。

 

作品の中で繰り返し登場する昼と夜の場面は、単なる時間の区分ではなく、異なる知覚の状態を指し示している。昼の風景は外部の世界から始まる。自然は安定した背景として存在するのではなく、力と動きが交差する場面として現れる。木々は強風によって壊され、見えない風の力は雲の形となって可視化される。澄んだ空の下でも、その場面にはまるで台風が吹き荒れるかのような緊張が宿っている。このとき登場する人物たちは、手で顔を覆ったり、帽子を深く押さえつけたりしながら立っている。彼らの身振りは外部の力に耐える動作であると同時に、自分の表情を隠す行為のようにも見える。人物と風景は確かに存在しているが、完全には現れず、場面は絶えず揺らぎ続ける状態のまま残される。

 

夜の場面は、外部の風景から内部の空間へと移動する。狭い部屋の中には椅子と壁に掛けられた絵があり、空間はまるで停電したかのような暗闇の中に置かれている。ここでは顔は一つの完結した形として現れない。顔は分裂し、異なる断片へと分かれ、単一の視線へと収束することがない。昼の風景が外部世界の不安定さを示すとすれば、夜の風景は知覚する主体の内部で生じる分裂を示している。

 

このようなアプローチは、知覚を世界と主体のあいだの固定された関係ではなく、身体と感覚を通して形成される関係的な過程として理解する哲学的思考とつながっている。とりわけ モーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty) の現象学は、世界が完全に規定された対象の集合としてあらかじめ与えられているのではなく、知覚の経験の中で絶えず形成され変形されるものだと述べている。私の絵画もまた、完全に規定された対象を提示するのではなく、対象が現れたり消えたりする知覚の境界を明らかにすることに関心を置いている。

 

結局のところ、この作品において風景と人物、顔と空間は固定された形として存在するのではなく、互いの関係の中で絶えず解体され、再構成される。私は絵画を通して、対象が明確になる直前の状態、あるいはすでにその確信が崩れた後の状態を捉えようとしている。
このような場面の中で、絵画は世界を説明するイメージではなく、風景と顔、物と空間が互いの境界の中で現れたり消えたりする過程の中で、私たちが世界を感覚する仕方を明らかにする「知覚の場」として機能する。

 

詳細は公式ウェブサイトへ

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