店主インタビュー 去来

松沢京子さん
——お店の特徴を教えてくださいますか。
松沢 酒器とか食器とか使えるものはあまり扱わないかもしれません。ライフスタイルの中で感覚を磨くというのではなく、考古遺物として見ていくほうが楽しいのかもしれません。感性で物を見ていった場合、今生きている時間なり背景の文化に支配されています。自分独自の感受性と思っていたものが実は時代の裏返しだった、子供のころ見たアニメの「孫悟空」、世界を周ってお釈迦様のもとへ帰ってくれば自分が周っていたところはお釈迦様の掌の上だった、そんな感覚です。考古と思ってみれば、一万年以上のスタンスを持たなければなりません。私がどう思うかではなく、「それは何か」の世界になり、知らないことが無限に増えてくる。そういうところが楽しい。とはいえ、認識するということはいずれにせよ自分の頭の中で起こっていることなので、自分の感覚を肯定しなかったにせよ、やはりこの生きている時代の「掌の上」であることは変わりないかと思いますが。
まして、縄文時代から、精魂込めて作られているもの、なかなかの作り手がつくったもの、評価が高く周辺に影響を与えたもの、一部地域にしか受け入れられなかったり、逆に大流行?したものなどさまざまで、人が大切にする基準というのはあまり変わっていないような気がします。
——この場所でずっとお店をされてきたのですか?
松沢 15年ほど前に中野から移ってきました。一般に古美術を生活の中で使い、部屋に飾り愛好するということを離れて、純粋にそのものの造形や色彩を鑑賞するという分野、その愛好者は案外多くないような気がします。日本橋・京橋は明治以降その発信地でありその物自体のことが語られる伝統的な地だと思っていました。私のように使えるものがすきではない人間は(笑)その文化的伝統の大樹の下で、使ってではなく見て楽しい物が売れれば良いというのが願望で引っ越してきた次第です。
——いわゆる古美術品とは少しイメージが違いますね。
松沢 本人はそれほどずれているとは思っていないのですが、確かにこの地の伝統的な鑑賞陶磁でもなければ、茶道具でも、また雑誌が作るライフスタイルの中の古美術でもないですね。今、光があたっていないものが好きなのでそのように見えますか?
まして「縄文 KAKERA」を続けています。催事だけですが、これは「見る」実験のつもりでした。情報で心に作ったもののイメージではなく「物」を見る。案外人はちゃんと見るなんてこと普段はしていません。部分を見る、そして全体を知ろうとする。あるいは全体を見ているときに、部分への関心を持つ。そうすれば自分の生きていなかった時代への関心も生まれ、見ることの世界も広がり、そして下らぬことですが、いい加減な贋物屋も少しは売り上げがへるのではないかと。
個人的な感想ですが今の時代、何かを見たりあるいは体験したりして考えるのではなく、情報であらかじめイメージが作られていて、知らずにそれに自分の感性をあわせているような気がします。自分緒「センス」で見ていると、鏡に映った自分の姿に見惚れているような物になってしまう。(笑)古美術といえば少なくとも何千年かの人の営みです。気をひかない物にも目配りを。同じ美術館に何度か足を運ぶと気になるものが変わってきます。自分の感覚なんていい加減なんだと思います。
——現代に生きている自分の感覚だけで向き合うのはもったいないと。
松沢 本来視覚情報料は膨大なはずです。でも意識で情報をコントロールしているので見たと思うものは限りなく少ない。最近の傾向として美術館もあらかじめイメージ作りをしてから人を寄せますよね。なんだかわかったような気持ちで出てきますがなんか危険。(笑)ものの本によりますと、昔の大英博物館やスミソニアン博物館は魑魅魍魎としていたとか、「なんだこれは」と自分で見まわさなければならない世界ですよね。(古い縄文の資料館の中にはそんなところもあってちょっと楽しい。)せめて古美術屋さんに入ったときは、探している物だけではなくそこにあるものに、「なんだこれは」という視線、好奇心を投げかけてほしいですね。
——前回は縄文土器の KAKERA、今回は石器ですね。たしかに土器や土偶のかけらとか古代のものは好奇心を刺激します。
松沢 前回は主に晩期の陶片が中心でした。若い人にたくさんご来店いただけて、熱心にひとつひとつ陶片を選んで行かれました。アートとして楽しんで行かれた感じです。でもなんだか少し気になります。KAKERA はとても危険なものです。心象風景になってしまうかもしれません。考古ではなくアートになってほしくはないのですが。その頃街に「木を見て森を見よう」という大きな看板が出てました。何の広告かと思えば、たばこだったんですけど、借りてきたいくらいですよね。これを手始めにちょっと体系的に日本の先史時代を学習なんてことにはならないみたいですね。
今回は石器、これは美術品のカテゴリーには入らない物ですが、きれいな石を交易で手に入れてまでして作っています。石の縞も計算しています。「用の美」もあります。十分美しい。まして石器で石器を作った時代です。青銅器、鉄器時代にはない造形です。今回はアート?研究者に怒られますか?
——一口に縄文といっても何千年も続いていますし、地域も広いですよね。楽しみ方のポイントがあれば、その一例でも教えてください。
松沢 現代の私たちの生活とつながりを感じるのが弥生時代からすると2,200〜2,300年の日本人史、縄文時代は1万年以上、気の遠くなるような時間です。草創期から晩期までおよそ5段階に時代区分がされています。古美術として出るのは北関東の中期の深鉢や晩期の北東北地方の小型土器が中心です。両者には影響関係がほとんどありません。別物と思ってそれぞれの面白さを見いだすのが良いと思います。後期五葉〜晩期は技術革新の時代です。祭祀用の精製土器が作られるようになり、土の精製から研磨、鳥の脚の爪や骨で緻密な模様を削りだすなど細部を見ていても驚きます。
——祭祀用のものは手の加えられ方が明らかに違うとわかります。楽しむためにはやっぱり知識も必要なのでしょうか?
松沢 それは一般にいう古美術品と同じ眼で見る世界を置かんする物として、知識があればなお視覚の世界も広がります。(困ったことに逆もありえます。)せめて縄文時代の大きな区分ぐらい知っておくと個々のものを見ても楽しいかもしれません。例えば中期と晩期では平安時代と江戸時代よりも違いが大きい?なんて考えてみれば長い縄文時代への考え方も変わるかもしれないし、個々のものへの見方も変わるかもしれません。
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